早くも忘年会を執り行いました。
居想会も稽古場所が増えましたので、同門同士の交流の機会は大切です。
今年は新人の方も多く参加頂き和気あいあいとした時間をすごせたのではないでしょうか。
日々の稽古の中で自分を磨き、かつ志を同じくするもの同士互いに切磋琢磨するからこそ稽古に張りが生まれます。
今、あっという間に過ぎていった時間を思い、二度と来ない一瞬の素晴らしさを噛み締めています。
関戸光賀
恒例の秋の合宿は、今年も九十九里で沢山の参加者を迎えて行われました。
午前の稽古では、居合に必要な古武術の合理的な動きを中心に基本稽古。
午後からの居合では、指導者の演武見本を見ながらの稽古でした。 口頭での説明は理論を理解する上で役立ちます。そしてその理論通りの動きを見ることによって自分の動きと重ね合わせる基準が作られますので、二日間の稽古とはいえ普段の稽古以上に収穫があったのではないでしょうか。
合宿での楽しみは何と言っても食事。この合宿場のよいところは美味しさとボリュームのある食事です。従って残さず食べることは至難の業。
宴会では、獺祭をはじめ日本各地の蔵元から美味しそうな日本酒を取り寄せましたので、試飲コーナは相変わらず盛況でした。さすがに皆さん美味しいお酒に眼がありません。また、おやつやお酒を差し入れてくれた方々、大変ありがとうございました。
居想無外流宗家 関戸光賀
合宿の意義の一つに会員同士の親睦があります。
互いに酒を飲んだり一緒に散歩をしたりする中で、稽古場では知らなかったその人の魅力の発見があったり。
今年の演武会は居想会の創立10周年と共に祝う催しとなりました。
忙しい現代人にとって稽古の時間を作ることは大変なことだと思います。しかしこの日のため一人ひとりが大切な時間をやりくりして、稽古を積み重ねてきました。
古武術は、慣れ親しんだスポーツ的な動きと違うところが多くあります。したがって当然と思っていた自分の動きを否定し、今までにないものを受け入れなけれ ばなりません。回らない縦の動きという一見理解しがたいことや、緩んで前に進むことなど最初のうちは戸惑いを覚えるでしょう。でも一番難しいのは力を抜く ことのようです。こうしたことを難しいと考えると稽古は苦行なってしまいますので、出来ない自分に嘆くのをやめ新鮮な自分を発見することに喜びを見いだし ていけるようになれば稽古は楽しくなります。
稽古を重ねていくと出来ないと思い込んでいたことが、ある日小さなきっかけで扉が開き次の世界が見えてくる。そしてそこに留まることなく小さな発見を積み 重ねていく日々こそ無外流開祖の辻月丹のいう「更に参ぜよ三十年」だと思います。肩の力を抜いて尊い時間を楽しみましょう。
居想無外流宗家 関戸光賀
和太鼓:畠山貴英 二十五絃箏:喜羽美帆 薩摩琵琶:荒井靖水
東京・新橋の顔として烏森神社があります。烏森神社は創建千年以上の由緒ある神社で御利益の中には技芸上達も含まれます。
烏森神社では二年に一度の例大祭で賑わいますが、この中で奉納演武ができることは居想会として大変光栄なことです。
烏森神社の御利益を頂きまして、これからも精進させていただきます。
今年の新春稽古会では普段の稽古では出来ない、古武道の初歩的な動きについて学びました。ゆっくりとした動作で行うことで曖昧であった自分の動きが再確認ができたのではないでしょうか。
また、居合や剣術で使う動きは現代のスポーツ的なものとは違うことが沢山あります。相手のいる体術によって学ぶ事で、使えている思っていた左半身が案外そうでなかったりと、互いに学び合うことが大いにあったと思います。
古武道を学ぶ事は楽しいことです。気がついていなかった自分の体の動きを知り、合理的な体の使い方を知る毎日の発見があります。
稽古の始まる前の午前中は昇級昇段審査と並行して刀の修理と柄巻き講習を行いました。長く使っていますと、どうしても柄に弛みが生 じて鍔鳴りがしてきます。二重切羽にすると目釘穴を痛めたりしますので適切な修理が必要です。また侍はお正月を迎えるにあたり柄糸を新調したりする風習が あったと聞きます。自分で柄巻にチャレッジしたい方が沢山集まり盛況でした。