現代に伝わる古武道の形であっても、時間の移ろいとともに理合や術理が変化していったものがありますので、注意深く現代風のアレンジを取り除く必要があります。
いま私たちは古武道としての無外流居合・剣術を研究し、現代人が失った日本人独特の古武術の体の使い方を取り戻すことに努力を惜しみません。古の人の思いを形として再現することは、日本文化の継承へと繋がる大切なことであると考えます。
居想無外流居合の形は20本で構成されており、その他には初傅位以上が学ぶ奥傅としての2本の形があります。
五用は真、向抜、左月、右、本腰の五本の座技から成っています。
居想会では20本の居合の形と2本の奥傅形があります。これらをそれぞれ1本の独立したものではなく、全てで1本の居合形として考えています。
五用の形は、逆袈裟、腹抜き、立抜きなど多様な抜刀法があります。
1本目の真の袈裟斬りは体を逆体として使うため、捻れの修正に効果的です。また、左月は左に体を転身するので、座技での下半身の使い方の学習に有効です。
立ち技の胸尽し、円要、両車、野送り、玉光で成る五応は、抜刀時や斬りにおける体の浮き沈みを制御し、正しく刃筋の通った刀の操作を学びます。
普段の生活の中での歩き方とは違う歩方ですので、最初のうちは違和感を感じるかもしれません。しかし、日本古来の体の使い方は、速く走るのには適していないかもしれませんが、道具を持った時に大変合理的な動き方であることを教えてくれるでしょう。
五箇の居合形は水月、陰中陽、陽中陰、響返し、破図味からなります。
五用にはない、座技での突きや刀を抜いた後の次への一刀につながる、合理的な体の使い方に重点が置かれます。
また、陰中陽では奥傅の居合形もあり、抜刀に必要な基本的な身体操作が含まれ、居合の基本に立ち返って学ぶ機会が設けられています。
走り懸りは、前腰、夢想返し、神妙剣、右の敵、四方から成ります。
ここでは、走りながらの抜刀が主なテーマですが、夢想返しは五用の向抜、右の敵は五用の右などと連動しているところもあります。
また、夢想返しは後方の敵への重心の移動法。神妙剣、右の敵は緩むことで進行方向を即座に変換する体の使い方を学びます。そして、四方は様々の要素が含まれて1本の居合の形をなしていますので、集大成の趣が感じられます。
関戸光賀が復刻した明治初期に失われた無外流真傅剣法訣(剣術形)を主体として小太刀、棒術など多彩な剣術を稽古しています。
これらの形は得物は違っても基本的な体の使い方は共通ですので、居合を含めそれぞれが補完しあい術理の向上を高めてゆきます。
無外流の流祖辻月丹が記した「無外流真伝剣法訣」は無外流居合のルーツともいえる伝書である。さらにその中にしたためられている「十剣秘訣」は全てが禅語であり意味を知るほどに壮大であり、それを理解することは、剣術だけでなく居合の稽古の大きな指針となる。
「十剣秘訣」が具体的にどのような形であったのかは口伝が途絶えてしまった今、それを正確に復元することはかなわない。辻月丹 はこうなることを知ってあえて図版を残さなかったのかもしれない。図の通りになぞればそれらしく形は繕うことができるが、本質が生きてこず魂が抜けたもの となる危険をはらむだろう。ならば形そのものを残すより、禅語として記した方が本質を伝えるのに適していたと考えたのではないだろうか。
ただし剣の修行者としては「十剣秘訣」の言葉の意味を理解しても、具体的な形の姿がなければ修行のしようがない。居合や剣術を 行うものにとって形を繰り返すことこそが修行そのものであり、だからこそ剣の道は崇高となるのである。それは禅僧が座禅することにより悟りを得るのと同じ ことでもある。
故に、「十剣秘訣」の片鱗として残る「刃引之形」や一刀流を始め古流の動きを研究し、現代的な動きを排除し再現したものが、居想会の「無外流真伝剣法訣」である。
刃引之形は無外流の原型を残す貴重な古武道の剣術形である。
姫路藩の高橋家に伝わった無外流の形は十本であったが、幕末竹刀稽古の流行からか五本にへりかろうじて現在に残されている。
派手な動きはないが、一本いっぽんの形には真剣を用いた際の実戦的な動きが凝縮さえていて、紐解くほどに奥深い。
真っ直ぐに打つ事の難しさ
遠間から上段、もしくは八相で真向に斬るためには相手と自分との正中線をぶらすことなく歩みます。このとき切先がふらふらするようではいけません。
また、相手の受ける木刀を打ってはいけません。打つのは常に相手の中心です。
待つ事の難しさ
決まった動きによって形が成立しますが、かといって先走って動いてはいけません。常に打太刀の動きに連動した対応をするのです。先走ればその方向に打太刀に打たれ形は終わってしまいます。
中心をとることの難しさ
剣の世界は、端的に表現すれば中心の取り合いです。中心を外せばそこに隙が生まれ、容易に相手に攻め込まれます。一本目と四本目にみられる受けからの攻防 では、中心に向かって剣を立てる事によって相手を制します。
ほんの少しズレたり力で制すればしようと、相手の思う壷です。
一隻眼とは碧巌録でいうところの「頂門に一隻眼を具す」とあるように、頭にもう一つの眼を持つということです。左右一対の眼の他に智慧を持って一切の物事を見る一隻眼とは心眼ともいわれ、ここでは眼で追う現象ではなく心の眼で相手の動きを見るということの教えです。
少し長くなりますが、平田精耕著の禅語辞典より引用しますと「経典の中には釈迦の教えが説かれていますが、その経典の文字は肉眼で読むことは出来ますが、 経典の教えを肉眼だけを便りに学んでいても、永久に真実の世界は分かりません。肉眼では通用しない世界を見ることの眼、これを一隻眼といいます」剣術でこ うした眼を考えるなら、相手の動きを眼で追い対処するということではなく、相手の呼吸と気を一隻眼で見て、脳を経由することなく体がそれに対応してゆくと いうことでしょう。
この剣術の形を行う上で、体は緊張することなく常に行雲流水の如く、あるがままに動くことが大切です。
居合組太刀の「乾坤之形」は、打太刀・仕太刀が互いに刀を納めた状態から始まります。
居合でいわれる「後の先」とは、先に動き出した敵に対して有利に動く立ち会い方ですが、通常の居合の稽古の中でこの「間」を掴むことは大変難しいことです。逆にこのような居合組太刀の経験を積むことで、居合における理想的な抜刀の一瞬を掴むことが出来るようになります。
姫路での無外流継承者は高橋赳太郎先生で、無外流高橋派とも呼ばれています。一説に無外流第十代宗家とされていますが、彼の関係する当時の文献には宗家と する文字はどこにもみあたりません。おそらく高橋赳太郎自身に宗家という自覚もなくそれゆえ口伝にも文献にも残っていないのでしょう。彼が無外流第十代宗家 となったのは彼の死後、第十一代宗家を自称した中川士龍先生で、創始した「無外流居合兵道」の格付けが必要だったのでしょう。
いきなり脱線してしまいましたが、この高橋赳太郎先生が、明治40年頃東京での警視庁時代に小太刀の形を元に十手の形を作りました。警視庁の資料では「高 橋先生は十手使用形なるものを工夫し之を警察部に献策せられたり。時の警察部は此の十手使用形に加ふるに柔術捕手形と暴動不審者連行心得とを以て武術心得 となし高橋先生を始め時の柔術師範をして此れが講習をなさしめた」とあります。
この資料には動きの詳細が記されておりますので、元となった小太刀の形の概要が分かります。
小太刀で大切なことは太刀においても同じですが、より明確な動きが要求されますので大変よい古武道の稽古となります。