居合や剣術など古武道の稽古は、スポーツのような競技と違い、他の人と成果を比べるものではありません。自身の技量の向上に喜びを感じるものです。
稽古では、まず形の動きを憶え、その過程を通して武術として合理的な身体の動かし方を学びます。最初はなかなかうまく身体を動かすことができませんが、稽古を重ねるうちに動きが自分のものとなってゆきます。
スムーズな身体さばきができたら、次により正確な刀の操作法を知り、少しずつスピードを早めてゆきます。
大事なことは運動神経でも体力でもありません。不器用でもコツコツ積み上げてゆくタイプのひとの方が、最終的にうまくなります。
若い人、年配者に限らず、今の人は総じて前屈みで猫背の姿勢の方が多くなっているようです。居合の稽古の第一歩は、この姿勢の正しくすることから始まります。
背筋を伸ばし胸を張り、凛とした姿勢を身につけるだけでも、気持ちの良いものです。
私自身が不器用なので、出来なくてあたりまえ、出来れば尚良しと考えています。私の良いところは多分不器用な人の気持ちが分かる事でしょうか。
ぜひ一緒に「のんびり武道」の精神で、一歩一歩居合の面白さを体験してみませんか。
若いころの交通事故の影響か60歳を前にして歩くとき前傾姿勢が多くなりました。このままいくと早晩腰が曲がると整形外科医に指摘され、防ぐには体幹を鍛えるように指導されました。そんな時居想会のホームページに出会いました。明るく楽しそうな会の方の笑顔を見て見学をした日に即入会です。最初のうちは半身の切り替え。緩み。縦の動きなど耳慣れない言葉だらけ、若い人の動きがうらやましく感じられました。
あるとき宗家から年配者は年配者の味のある居合とゆう言葉を聞き心を強くした次第です。ゆっくりでもいい居想会の居合を自分のペースで稽古してみようと。良き師、楽しい仲間に恵まれ見学した日の直感が間違ってはいなかったことを実感しています。居合いは奥が深いと言われます体が動く限り稽古をしていく所存です。
明和7年より3年間、江戸桜田上屋敷で勘定組頭を勤めた8代前のご先祖様
<元より身分に過ぎたる勤め方故、役中様々危なき事共御座候得共、昼夜丹心を入れ相務候>
こう書遺している。どうみても文系の次郎兵衛さん、改革派、反改革派の狭間で剣の腕はどうだったのか?
昔のサラリーマンは羽織袴で2本差し、単にそんな姿を体感したくて始めた居合です。
体や脚の捌き、剣の扱いを稽古するうちに己を厳しく律する武士の生き様も理解出来るようになります。
お稽古ごとの一つでもあり、また今やスポーツとも云われる古武道居合は私にとって自分磨きの場でもあります。
居合道を始めることを決断するのに遅すぎるということはありません。
50歳も半ばを過ぎ何か新しいことを始めたいと思い居合を選びました。
居合道は年をとっても技量を上げ続けることが可能であり球技や他のスポーツと異なり勝ち負けを競うものではありません。また、日本文化を知る入り口として武士の魂といわれている刀の知識や扱いを知ることも楽しいものです。
頭の中で考える身体の動きと実際の動きを一致させることは難しいものですが、少しづつ技量を上げ理想に近づけるように一緒に修行しましょう。
居合道を始めることを決断するのに遅すぎるということはありません。
居合は、仮想敵を相手に自分自身で基本や形の稽古を積んでいきます。また、現在では殆ど使うことの無い、体捌きや所作があって慣れない動きに戸惑うことがありますが、いずれも理に適ったもので繰り返し一歩一歩真面目に稽古を積むことで、身に付き上達していくことができます。
刀を振ってみたい方やストレスを解消したい方など動機はいろいろあると思いますが、老若男女を問わずそれぞれの体力や目的に応じて稽古ができると思います。興味を持ったら実際に見学や体験などを通して体感してみてください。
「日本とは」、「日本人とは」—海外駐在生活で、海外の人と接するたびに繰り返されてきた疑問。
積み上がった本から、武士道にヒントありかと。経験なくしては掴めずと、たどり着いたのが居合道の居想会。
とにかく初めは戸惑うことばかり。 半身を切る? 緩みで動く? 中心を取り合う?
動いてみても、増えるのは「?」ばかり。 そもそも、これは古武道。普段の動きと違って当然。
それでも稽古を続けていくと、「なんとなくこんな感じ」と思える時が。しかし、その時に現れるのは次の課題。
ブレ幅ゼロを目指すものの、遠い道のり。 そして、仮想敵。 斬ろうと思えば体は乱れ、動きに囚われれば、斬れない、手ごわい。 己が成長すれば、仮想敵も成長する、相対しているのは常に己か。
一方、実際に相手がいる剣法。形稽古だとしても相手の動きは常に違う。「間合い」が支配する。距離、早さ、力、角度、それへの対応。そもそも間合いというのが出てくるだけで、体がついていかない。何度も何度も、繰り返し、繰り返し。
孤独でストイック? 是非、見て確かめてください。 稽古中は真顔、たまに半べそ、たくさんの笑顔と暖かい空気。素晴らしい先生方と仲間がいてこそ。動機は様々でも、そんな全てを包み込んでしまう大きさがあります。武士道の片鱗を掴めるのか、信じて向かいます。あなたも何か動かされるものが見つかる場になるかもしれません。
小学校へ入学すると同時に、近所にあった剣道の道場へ通い始め、就職する頃には参段を取得していました。20代~30代の頃は、仕事が忙しくて次第に道場から足が遠退いてしまいました。 剣への変わらぬ思いを抱き続けていた40代の半ばに大病を患い、入院、手術、リハビリを経験したことで人生観が変わり、もう一度、自分のやりたかった剣の道を目指そうと改めて決意しました。 有段者として経験のある剣道へ復帰する道も考えましたが、勝ち負けを競うスポーツ的な世界ではなく、自身の精神鍛練として日本古来より現代へ受け継がれている古武道の世界へ初心者として身を投じることを選びました。
居想会はホームページで知り、都内各所に稽古場があるので仕事帰りに会社から通える点と1年を通じて色々あるイベントの写真を拝見し、みんなが楽しそうな笑顔で参加している点が決め手となり、稽古場所の見学を申し込みました。 実際に見学した印象も想像していた通りで、稽古中の厳かな雰囲気、合間の休憩では年齢、性別関係なく、和気あいあいと仲良く談笑している和やかな雰囲気を感じたので、その日の内に入会申し込みの手続きを行いました。 入会して最初の稽古から20回位までは、周りのペースについていくのが精一杯でしたが、次第に身体が動くようになり、古武道の奥深さに悩みながら月に約15回前後のペースで稽古を続けています。 稽古は決して回数だけではなく、1回毎の稽古の質を高めながら積み重ねていくことが大切だと思います。その為にも周りのペースに合わせるのではなく、自分自身の目的と体力を考えて、無理なく稽古を続けていくことが肝心だと思います。
古武道の世界とは、普段の喧騒とした日常を離れて、稽古を通じて自分の心と向き合う時間でもあります。剣の道は奥が深く、到達点などありません。其れ故、それぞれのペースで長く稽古を続けていくことにより『心技体』が充実していき、うまくいかないことに悩みながらも、それまでより少しだけ出来るようになった実感が励みになると思います。 もし、入会に迷われている方がいましたら、先ずは稽古場へ見学に来られることをお勧めします。 百聞は一見にしかず。 居想会の雰囲気をご自身の目と肌で確かめていただくことが良いと思います。
物心ついた頃から歴史が傍らにあり、日常から離れ、ただ一心不乱に己が好きなものに打ち込むものとして選んだのが居合であり、剣法でした。
居合は、常に己との闘いの連続。己とは自分でもあり、仮想敵でもあり、心がそのまま形に現れる。刀は己が心を正直に映し出す、心技一体の武道です。心穏やかに、自分と向き合い、自己の特性を理解し、よりよくしていくためには、どう動けばよいか、日々精進していくことができる、正に真剣勝負なとても魅力的な古武道です。
剣法は、常に相手がいます。木刀を通したコミュニケーション、対話があり、そのやり取りを楽しむ古武道です。こちらは他者理解、相手の呼吸を読み、相手との間合いを図るなど、刻々と変化する世の中にどう対処するかと同様に、相手に合わせ変化し続ける柔軟さが求められます。瞬時に対応する力が身につく奥が深い古武道です。
グローバルな社会の中で、国の垣根は取り払われつつありますが、だからこそ、世界の国々と対等に、また、分かりあっていくためにも、日本の伝統や文化が見直されている今、居合道という形で私達と一緒に居合や剣法を初めて見ませんか。
居合は現代スポーツにはない日本古来の体の使い方をベースにして稽古します。「柔よく剛を制す」の諺とおり、普段使わない膝・股関節の緩みや、骨格や肩甲骨の滑らかな動きにより、しなやかな動きが身に着きます。勝ち負けではなく、自分の体と対話しながら地道に稽古することにより、体幹が鍛えられ徐々に体の変化を感じ嬉しくなります。また、袴を履いて刀を帯刀する事により、侍文化の一部を体感できるのも楽しいものです。是非、体験会に参加し、居合の世界に飛び込んでみてはいかがでしょうか。
私は、居想会本部に入会し稽古してきましたが、会社退職に伴い2016年9月より新たに茨城居想会での稽古を開始しました。茨城のみなさん、茨城でも居想会の稽古ができますので、一緒に稽古しましょう。
仕事の関係で出張や地方への赴任が多く、スポーツ等で体を動かすことから遠ざかっていましたが、東京での勤務に落ち着いたことを機に、何かやろうかと思い始めていました。そんな中で何気なくホームページを見ていて、居合も悪くないなと思い、気軽にあまり深く考えもせず始めました。ただやるからには途中で投げ出すようなことはしないように、長く続けようとは強く思っていました。
居想会に入会して稽古を始めたころを思い出しますが、最初は分からいことばかりで、戸惑いの連続でした。稽古着・袴の着付けには時間がかかるし、緩かったりきつ過ぎたり、稽古途中で着崩れしたりで、そっちの方が気になり稽古そのものに集中できず苦労したことを覚えています。稽古では、「体軸の保持」「剣体一致」「丹田」等々、普段は耳にすることのない言葉が行きかう中で、初めは見様見真似で一緒に動いているのがやっとでした。そんな稽古も、回を重ねていく毎に、少しずつ言葉もその意味も含めて聞きとれるようになり、体もそれなりについていけるようになります。そして、基本や形の手順が分かってくるにつれて面白さも出てきますし、また難しさも感じるようになります。抜刀、切付、振りかぶり、体捌き等々、少しできるようになるとまた新しい課題が出てきて、これの繰り返しのような気もします。
入会以来稽古を続けていいますが、「ある課題を克服できた」、あるいは「ここが上達した」とかいうことをある瞬間に、明確に実感できたことはあまりなかったように思います。私の場合、個別の課題について、実感できたことと言えば「腹抜きがスムーズに出来るようになった」ということくらいでしょうか。審査を受けたり、普段の稽古で指導を受けたりするなかで、かけられる言葉から自身を見つめなおして再評価することで、「少しは出来てきたのかな」とか「ここが上手く出来ていないな」と思いながら稽古をしています。
人それぞれに始める動機や、居合に対する思いも感じることも違いますし、稽古に割ける時間もそれぞれ違いますので、一概に言えることではありませんが、続けることが大事だと思っています。居合は力やスピードを大きく要求されませんので、私自身若い人にも負けずにまだまだ上達できると思いますし、気負うことなく長く続けていきたいと思っています。
居合を始めようと思ったのは、父からもらった鍔がきっかけでした。
ある日しまい込んであった「おもちゃ箱」の整理をしていたところ、何十年も前にもらった鍔が3枚出てきました。
このまましまい込んでは永久に日の目を見ないことになると思い、刀(模擬刀)を買って装着してみようと思いました。
しかし、その刀もそのままではただの飾り。何とか使い道を模索するうち、居合を始めてみようか?!
インターネットで検索しながら居想会のホームページを見てみると、平日の稽古は午後7時から、
場所は職場から近いので好都合。早速事務局に電話して稽古を見学させていただきその場で入会を決めました。
年齢が65歳と高齢であり、また日常とは異なる動きが多く、用語も日本語でありながら不可解な言葉が多くて、始めてみたもののこれから本当に続けられるのか不安になりました。
それからすでに5年が経過し現在に至っています。
ここまで続けられたのも指導部の諸先輩方、また会の皆さんと一緒に稽古してきたからだと思います。
もし、他の居合道の教本などを頼りに一人で稽古を始めたとしたら、長く続けることはできなかったでしょうし、正しい所作を身に着けることもできなかったと思います。
とにかくやればやるほどわからないことも多く、奥が深く難しいことだらけですが自分のペースでこれからもずっと続けていきたいと思います。
「肩甲骨を動かすように」整骨院の先生に言われた言葉が居合を始めるきっかけとなりました。
私は普段より整骨院に通い続けていて、自分でメンテナンスができないものかと思っていたのでした。そこで古武道に興味もあったので、やるなら弓道か居合道かなと思いましたが、弓道だと家で練習したら壁が穴だらけになると考え、通いやすくて居合が習える会をと居想会に入りました。
習い始めてしばらくの間は動きを覚えようと体も頭も疲れきってしまい、ご飯茶碗を持ったまま居眠りをしていました。
居合は大変難しく「刀をこう扱いたい!」と思うほどに余計な力が入ります。どうやって自分の体の使い方を理想に近づけるのか、悶々としながら自分と向き合っています。
始めるまで予想しなかった効果が居合にはありました。私にとって居合の時間は日常から離れた時間となり、頭を占めていた雑事を一度忘れ没頭できる時間となったのでした。
歩みはとっても遅くても永く続けられる趣味に出会えたことは有難く、自分のペースで今後とも続けていきたいと思っています。
横目に他人は気になりながらもストイックに自分と向き合う、そんな没頭できる稽古時間を享受できることが改めて有難いことだと感じています。
初めて居合を知ったのは、居合の稽古に励む学生を取り上げた番組でした。
画面越しでも伝わってくる、迫力と美しさに心を奪われました。
当時は子どもも小さく、自分の時間を持つには余裕がなく、強い憧れを抱くのみでした。
子どもが中学生になった時、夫の父と母から「家の中でできることと、家の外でできることを探すと、これからの人生はより豊かなものになる」と助言をもらいました。
その言葉をきっかけに、憧れていた居合を始めようと思いました。
ただ、体を動かすことが苦手だったため、何年も運動はしていませんでした。
そのため、始めたばかりの頃は思うように体は動かず、理想の姿とかけ離れた自分の奇妙な姿にあきれ返りました。
それでも続けてこられたのは、自分と向き合える貴重な時間であることと、会の皆さまのお声がけと心配りがあったからです。
居合を通じた人との結びつきと、お稽古に夢中になれる時間は、間違いなく今後の私の人生を豊かにしてくれると感じています。
居想会はできないことを指摘するのではなく、正しく動くことを教えてくれます。
それは怪我をしないため、そして何より長く続けられるよう配慮ある教えだと思っています。年代は様々な会ですが、個々を尊重し、互いに敬意を持った環境で、落ち着いてお稽古に取り組むことができます。
新しい環境に飛び込む時、勇気が必要な場合もありますが、ご一緒にいかがでしょうか。
お待ちしております。
居合と言われて私が思いつくのは、巻藁を真剣で斬る様なイメージでした。時代小説を読んでいて居合が出てきた時、そのイメージのままではおかしいなと思い、居合について調べたのが居想会を知るきっかけでした。ホームページで体験稽古をしていることをしり、物は試しと早速申し込みをしました。体験の詳細はあまり覚えていませんが、一つだけ覚えていることがあります。それは手本として見せて頂いた、刀を振りかぶる動作です。あの無駄がなく洗練された美しい動きは忘れることができません。
入会してからは稽古が楽しみで仕方なく、週末の過ごし方がガラッと変わりました。古武道ということもあり、初めのうちは聞きなれない言葉や、慣れない身体の使い方に戸惑いもありました。ですが見様見真似で稽古を続けているうちに、ほんの少しずつ出来ることが増えていきました。居合は他者との競争や、試合で勝ち負けをつけるものではなく、ひたすらに自身の技量を高めるという点も私の性に合っていたように思います。入会時に定めた目標に到達しましたが、体験稽古で見た様な美しい動きにはまだまだ程遠いと感じています。
社会人になり新しいことを始めるというのは勇気がいることかと思います。初心者なのに入って迷惑ではないのだろうか、と思う方もいるかもしれません。ですが居想会では誰もが必ず、初心者からのスタートです。周りの会員も皆、初心者から上達している方々ですので、ご心配なく。
もし少しでも興味があるようでしたら、是非近くの稽古場へ見学に足を運んでみてください。
いつの間にか、仕事に追われ、体を動かす事から離れ、体重増加で 高血圧など、体調不調が続いていました。そんな折、まさかの東京単身赴任! 此のままでは早死にか、寝たきりが必至と思い、何か体を動かせる「日本らしい、カッコ良い」武道として 「居合」をネット検索して、居想会のページを見ました。見学をしてみると、真剣な中に皆さん楽しそうに稽古に取組んでいるなあと、その場で入会を決めました。
入会してからは、10回目の稽古迄は、胴着の着付けが緩んだり、 力任せに刀を振って筋肉痛になったりしましたが、徐々に軸の立て方や緩み方を教えて頂き、少しずつでも出来る様になると、居合稽古が楽しくなり、体調も軽やかになって来ました。
居想会には、会社では知り合えない色々な職種の方々がおられます。稽古後に色々なお話も聞けて、人としての幅も広がりました。
3月からは、福井県での単身赴任が始まりますので、福井居想会を 立ち上げ、福井の方々にも居合稽古の楽しさをお伝えしたいと考えます。
居想会の居合は、居合を始めたいと思う方、誰にでも門が開いています。是非最初の一歩を踏み出して下さい。新しい世界が始まります。
いつか日本の伝統的な武道を学ぶ機会を持ちたいと思っていましたが、仕事の忙しさを言い訳にそんな気持ちも忘れて、ばたばたと年月が流れていました。とある初夏。ふと思い立って調べてみる中で会のHPにたどり着き、思わず稽古の見学を申し込んでいました。仕事帰りに”飲み会”以外の予定があるのも久しぶりでした。見学させて頂くと、凛とした雰囲気での稽古で、また、和気あいあいとした会の空気感を感じるものでした。忘れていた気持ちが高まり、そのまま入会をさせて頂きました。
入会後しばらくは、聞きなれない言葉や動き方についていくのがやっとで、自分には、無理かなぁと落ち込むこともありました。そんな中、稽古で指導頂く中で、すっと動けることがあると面白くて、そんな経験を頼りに、夢中になっていきました。合宿、演武会等の行事を節目に一歩一歩進んできました。お陰様でアフター5や休日の時間の使い方もすっかり変わり、体重も減り、体調も良くなっています。
仕事と家庭以外にも打ち込めるものがあり、様々な知見・経験をお持ちの方たちと交流の機会を持てるのは、本当に貴重だと感じています。勝ち負けや競争というのではなく、しっかりと自分に向き合い高めていける居合を焦らずに長く続けていけたら良いと感じています。居合に興味を持たれる方の目的や取り組みのペースは、様々かと思います。そんな中で、何か感じることがおありでしたら、お近くの稽古場に見学にいらしてください。
ゲームやアニメで出てくる剣士に幼少期から憧れていました。大人になったらその憧れやワクワクを忘れてしまうものかと思いきや、ますます剣術を学びたくなってしまい、堪らずに居想会の門を叩きました。
いざ入会し、あらゆることに戸惑う毎日です。日常とは全く異なる身体の使い方、無意識のうちにしている無駄な動き、何度指摘されても思うように動いてくれない自分の身体。稽古では常にその連続です。しかし、稽古とは出来ない自分を見つけ、それを壊すこと。宗家や師範に教えられた心構えの一つです。
入会時の稽古で目にした綺麗な居合の技、凄まじい組太刀稽古を目指して稽古すること早幾年ですが、未だその高みは遠いです。果たして自分が生きているうちに至ることができるのか、そもそも何処に行き着くのか。そんな果てない旅をしている気分です。
とてもここでは書ききれない世界があります。少しでも興味がありましたら、まずは刀を触れにおいで下さい。まだ見ぬみなさんと一緒に稽古を、剣を振れる日々がくるのを楽しみにしております。
子供のころから父親とよく時代劇を見ていました。
なんとなく刀がかっこいいなぁと憧れを抱き、中学に入り剣道部に入部しました。
よく刀を振る様に竹刀を振れと指導を受けていましたが実際に「刀を振った事が無いよ」と思い剣道の稽古を行っていました。
そのまま社会に出て家庭を持ち、生活が落ち着いた頃にふと、昔の「刀を振った事が無いよ」を思い出し
居合をやってみようと道場を探し、幸運にも居想会に出会う事が出来ました。
いざ始めてみると蹴らない、飛ばない、力を抜く、手首は使わない、今までに無い竹刀とは全く違う動きに戸惑う事がたくさんありました。
しかし、指導者の方は親切かつ丁寧に指導して下さり、諸先輩方は、初心者にも優しく見守って下さり、とても良い雰囲気の稽古場のおかげでこれまで続ける事ができました。
また居合は他の武道とは違いひたすらに自分との戦いです。
これからも居合を通して弱い自分に打ち克つ様、稽古を続けて行きたいと思います。