無外流真傅剣法訣・序文

無外流真傅剣法訣

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無外流真傅剣法訣・現代語訳

武術は国を鎮め、乱れを収めるための大切な備えであり、世の秩序と平和を支えるものである。武の力が盛んであれば邪は容易に起こらず、武備が整えば天下に憂いはない。泰平の基は、まさにそこにある。

ゆえに武術を伝える者は国中に多く、さまざまな流儀が世に広まっている。しかし、その伝承が正しく行われず、本来の意味を失ったものや、珍奇な技をもって人目を引くものも少なくない。術の本質を離れ、ただ奇を競うことは、まことに嘆かわしいことである。

私は幼い頃より剣術を志し、ひたすらその道の修練を重ねてきた。寒暑を問わず撃剣に倦むことなく、朝夕、術の理を思い、精神を凝らして深く探究した。その末、恍惚の間に豁然として悟るところがあった。

心と手とが相応じれば、その働きは一つとなる。一人の敵に対する術を深く究めることによって、やがて万物の理にも通じてゆく。そこに確かなものを得れば、迷いもまた消えてゆくのである。

長い年月を経て見るに、形や技を学ぶ者は多くとも、その奥にある精神にまで至る者は少ない。私がひそかに憂えるのは、時を経るにつれて伝承に誤りが生じ、ついにはその奥深い本質が分からなくなってしまうことである。

そこで、後世にその理を伝えるため、新たに十則を定め、これを秘伝の書として記した。さらにその後に一円を描き、到達すべき極致をそこに託した。幸いにして、この真意を理解し得る者が現れたならば、幾重にも包んで宝のように大切に伝えるべきである。しかし、その器でない者には、軽々しく伝えてはならない。

もっとも、術の妙は文字だけによって伝え得るものではない。車輪を削る名工の技が、言葉や書物だけでは伝えられないのと同じである。書かれたものはあくまで道を示すものであり、その真意は自ら修練し、身体をもって会得しなければならない。剣の道もまた、そのようにして深く、高く究めてゆくものである。

古人のいう神妙の境地も、結局はそれを体得したその人の中に存在する。もし真にこれを受け継ぐに足る人を得るならば、私は何を惜しみ、何を秘そうか。

その十法を、以下につぶさに記す。

現代語訳・解説:吉田 啓・関戸光賀

無外流真傅剣法訣・解説

この序文に続いて、「獅王剣」から始まる十則が、禅語を主体とした言葉によって綴られている。これについては別ページの「無外流真傅剣法訣/十剣秘訣」で詳しく取り上げているので、併せてお読みいただきたい。

『無外流真傅剣法訣』は、『無外真傅目録』とともに、無外流を考えるうえで極めて貴重な資料である。そこには、流祖・辻月丹が長年の剣の修行によって得た思想と、剣法の奥義ともいうべきものの核心が込められている。

この序文からは、月丹が剣によって学び得た武術の神髄を、後世へ正しく伝えたいと願っていたことが強く感じ取れる。翻っていえば、それは伝承が時を経るにつれて形骸化し、本来の意味を失ってゆくことへの危惧でもあったのであろう。

居合や剣術をはじめとする武術の伝承は、基本的に人から人へ、形と口伝によって伝えられてきた。技や形を図に描き、動作を細かく文章に残すことはできる。しかし、肝心の伝承者が途絶えれば、外形だけは真似ることができても、そこに込められた理合や身体の使い方まで正しく伝えることは難しい。やがて形だけが残り、本来の意味を失った、魂のないものとなる危険がある。

月丹もまた、そのことをよく知っていたのではないだろうか。

実際、この伝書が記されてからおよそ二百年を経た頃には、江戸における無外流の伝承は絶え、明治まで残ったのは姫路や高知など、限られた地域に伝えられた系統となった。その後も時代の変化の中で伝承はさらに細り、今日、月丹が行っていた剣法をそのまま伝える伝承者がいるとは言い難い。

ところが、伝承が失われてゆく一方で、「無外流」という名そのものは今日まで残り、さまざまな人や団体によって用いられている。

しかし、流名は名乗ることができても、その流祖の求めたものまで名乗ることはできない。

無外流を名乗ることと、月丹が何を考え、何を剣によって求め、何を後世へ伝えようとしたのかを真摯に探究することとは、まったく別のことである。

私が残念に思うのは、伝承が途絶えたことだけではない。『無外流真傅剣法訣』というこれほど重要な資料が残されているにもかかわらず、その中に記された十則、すなわち「十剣秘訣」に込められた月丹の思いを真正面から読み解き、剣の理として考えようとする試みが、これまであまりにも少なかったことである。

月丹はすでにその時代に、正しく伝承されず真意を失ったものや、奇抜な技をもって人を惑わせるものがあることを嘆いている。それから三百年以上を経た今日、「無外流」という名前だけが独り歩きし、その根本にある月丹の思想が顧みられないとすれば、何とも皮肉なことである。それこそ、月丹がこの序文で危惧していたことが、そのまま現実となった姿ではないだろうか。

剣の伝承には、能や古典芸能のように型を厳密に守り続ける世界とは、やや異なるところがあるように思う。武術の形は、人と向き合い、身体を動かすものである以上、伝承者の体格や経験、工夫によって少しずつ変化してゆくことは避け難い。

しかし月丹が恐れていたのは、形が多少変化することそのものではなく、形から理が失われ、武術として意味を持たないものへ変質してしまうことだったのではないだろうか。

ましてや明治以降、日本人の生活様式や身体の使い方そのものも大きく変化した。学校体育や軍事教練、西洋式の運動法が広まり、歩き方や走り方を含め、身体運用の感覚も江戸時代以前とは異なるものとなっていった。私たちは近代スポーツによって新しい身体能力を身につけた一方で、古の武術の中で培われてきた身体の使い方の一部を失ったとも考えられる。

さらに明治維新による社会制度の変化や、その後の戦争などを経る中で、剣術や居合の伝承そのものが途絶えたり、変質したりした例も少なくない。古流を正しく後世へ伝えるということが、いかに困難なことであったかが分かる。

無外流もまた、その長い歴史の中で伝承の断絶や変化を免れることはできなかった。

しかし、月丹が伝えようとした世界そのものは、『無外流真傅剣法訣』の中に今も残されている。

月丹は、足の運びや刀の角度といった細かな技の説明や形の図を残すのではなく、その奥にある剣の理を十則として後世に残した。

もちろん、なぜ具体的な形を記さなかったのか、その真意を今となって知ることはできない。

しかし、外形だけが後世に残り、やがて本質を失ってしまうことを月丹が危惧していたと考えるならば、あえて形を詳細に残さず、容易には答えの出ない十則として剣の奥義を託したことにも、一つの意味が見えてくるように思う。

それは、失われた形をそのまま復元するための答えではない。

むしろ、「剣とは何か」「何をもって剣の道とするのか」――それを時代を越えて、後世の我々自身に考えさせ続けるための十則なのではないだろうか。

そうであるならば、我々がなすべきことは、古人の形跡だけを追い求めることではない。

古人が何を求め、何を剣によって悟ろうとしたのかを求めることである。

無外流を学ぶ者、まして無外流の名を掲げる者であるならば、この十則を常に心に留め、形の外見や流名だけにとらわれることなく、その奥にある月丹の求めた剣の理を探究しながら、稽古を続けなければならない。

 

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