10月24日,25日田町 投稿者:
関戸光賀 投稿日:2026/10/25(Sun) 20:42
No.7827
24日田町:居合
長年、稽古する皆さんの足元を見続けていると、そこから見えてくるものがあります。
それは、動いているときではなく、むしろ動きを終えた瞬間の足の裏です。
例えば、斬り終えたとき。足の裏全体が床に張り付いたようになっている人もいれば、反対に踵が必要以上に浮き上がっている人もいます。
ところが今日、何人かの方が実に見事な立ち姿を見せてくれました。
斬り終えた瞬間、両足の母指球と小指球、合わせて四点でしっかりと身体を支え、踵は紙一枚が入るか入らないかというほど、わずかに浮いている。
思わず心の中で「お見事!」とつぶやいてしまいました。今思えば、声に出して伝えればよかったですね。
なぜ、その立ち方がよいのか。
難しい理屈はさておき、答えは単純です。次の動きに、無理なく移れるからです。
武道は、一人の敵を斬ったからといって、それで終わりではありません。
次の瞬間、左右から新たな敵が現れるかもしれない。倒したと思った敵が再び向かってきて、瞬時に後退しなければならないかもしれません。
前にも、後ろにも、右にも、左にも。
どのような変化にも即座に応じられる身体であること。それが大切なのです。
斬り終えた姿勢は、単なる動作の終着点ではありません。次の動きが生まれるための姿勢でもあるのです。
そして、そのような立ち姿は、一朝一夕に身につくものではありません。日々の稽古の中で、自らの身体と向き合い、試行錯誤を重ねてきた結果なのでしょう。
皆さんの努力は、しっかりと見えています。
25日田町:剣法
普段の剣法稽古では、教える者と教わる者の役割が明確に定められています。
しかし、演武会に向けた稽古では、形ごとにチームが編成されたこともあり、一部のグループでは打太刀と仕太刀をあえて固定せず、それぞれが自由に役割を担う稽古を行っています。
そこには、いつも指導者がいるとは限りません。
指導者がいなければ、これまでに学んだことを頼りに、自分たちで形の理合を考え、互いの動きを確かめ、修正していかなければなりません。
教えられたことを再現するだけではなく、なぜそう動くのか、どうすれば理にかなった動きになるのかを自ら問い直す。
その過程で、一つの動作への理解が深まり、自分たちの力で形を練り上げていくようになります。
ある程度技量が進んだ者にとって、これは自らの力で成長を促す、実に有効な稽古方法だと思います。
また、稽古場には、まだ経験の浅い者もいれば、今まさに伸び盛りの者もいます。
その際は打太刀を務める者が、自分の学んできたことを、言葉と身体を使って丁寧に仕太刀に伝えていきます。
人に教えようとすれば、曖昧な理解のままでは済みません。自分が何を理解し、何を理解できていないのかが、次第に明らかになってきます。
そして、相手に伝えるために言葉にしたことが、今度は自分自身が仕太刀を務めるときの課題となって返ってくる。
教えることで学びが深まり、学ぶことで教えが磨かれる。
剣法は相手があってこその稽古です。互いの技を磨き合うだけでなく、互いの成長を支え合うところにも、その大きな価値があります。
演武会という目標があるからこそ、稽古への向き合い方も変わってきます。
演武会は、日頃の稽古の成果を披露する場であると同時に、そこへ至る過程で自らを大きく成長させる機会でもあります。
形を完成させることだけが目標ではありません。形を練り上げていく過程で、自分自身を磨いていくこと。
今日の稽古を見ていて、そんなことを改めて感じました。