稽古日記

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7月25日田町 投稿者:関戸光賀 投稿日:2026/07/25(Sat) 13:37 No.7749
宗家稽古は、原則として有傳者を対象とした稽古ですが、来月の審査を受ける方には、級位であっても参加していただいています。

今日、級位で参加されたKさんは、教えられた形に忠実に動き、素直で癖のない居合をされていました。

一方、有傳者の方々は、中傳位あたりから、その人ならではの部分が少しずつ強くなってきます。今日も、それぞれの個性が感じられる、いわば一人ひとりの「居合ワールド」がつくられていました。

居想会の居合では、「型」ではなく「形」という字を使います。

「型」と「形」の違いについては、流派や考え方によって解釈が異なり、さまざまな意見があると思います。

私の解釈では、「型」とは、定められた手順や理合を正しく身につけるために、いったん個を捨て、自分の身体を型にはめていくものです。修養の初期においては、誰もが通らなければならない大切な期間です。

そして、その型を十分に身につけた先に「形」が生まれます。

人には、筋肉のつき方や骨格、年齢、身体能力などに、それぞれ違いがあります。その違いの中から、理合を外すことなく、その人なりの居合が自然に現れてきます。

当然ながら、その形は一人ひとり異なります。指導する側が、その人の良いところを認め、伸ばしていくことで、それがやがて個性となっていきます。

ただし、ここでいう「個性的な居合」と、「自己流度の高い居合」とは、まったく別のものですので、混同してはいけません。

自己流度の高い居合は、速さや派手さに酔い、本人は効率よく動いているつもりでも、実際には無駄な動きが多く、理合から外れていることが少なくありません。

型を壊して個性を出すのではなく、型を十分に身につけ、その型を意識しなくなったところに、その人本来の形が現れるのだと思います。

型は誰もが同じ道を歩くためのものですが、その先に生まれる形は、一人ひとり違います。型を守り続けた先に、その人にしかできない居合が自然と現れる。それが、居想会で「型」ではなく「形」と表す理由です。

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